こんにちは。
今日は
9月21日水曜日
です。
(ここ現在)。
かなり
ぶっつけで
いつも
書いています。
…。
けっこう
かける
ものです、コゴエ。
…。
台風は
さっても
週末
お天気は
崩れる
そうです。
これから
ますます
命がけ?の
季節の
変わり目と
なって
いくの
でしょうか。
さて
今回も
ふんわり
理解で
社会と
一部、
ぜーんぜん
命がけでない、
どころか
ケチくさ
論説
蔓延の
「なんちゃって」
政治に
ついて
えらそうに
書かせて
いただく
お時間と
なりました。
前回は
責任を
とる
システムが
ない、
それ
選挙の
役割の
はず
ですが
政治家の
みなさんが
どうも
宗教団体と
固いきずなで
結ばれている
ようなので
もしかして
もう
むちゃくちゃ?
っていう
内容でした。
今回も
ひきつづき
この話です。
それでは
はじまり。
「政教分離」
に
ついて
お話、
できないなら
議員の
呼称、
これまでの
衆議院議員
参議院議員
から
当選の
しかたで
自力!議員
そーかそーか議員
とーいつ議員
ひれー議員
などに
それぞれ
するのは
どうでしょうか?
法治国家の
日本、
宗教と
政治が
結びついて
いても
旧統一教会
などの
選挙応援、
うけて
いても
なにも
問題
ない!
のでしょう?
であれば、
さらに
堂々と
強調、
呼称を
区別
することで
国民に
はっきりと
くっきりと
わかりやすく
して
いただけませんか?
スネ夫
親子議員、
ステルス
援護射撃
政治的妥結
弁護士の方、
はじめ
あと、
ステルス
援護射撃を
さらに
ステルス
援護射撃
している
メディアの
人など、
「宗教団体と
政治家の
関係、
なにも
問題ない!」
と
言われるならば
できますよね?
呼称の
区別ぐらい
なにも
難しく
ないと
思います。
…。
なぜ
知床のは
日本の
ロシアへの
制裁のせい
なんでしょうか?
なにが
自分に
都合の
いいように
話をする
人がいるから
警鐘を
ならす、
なんでしょうか?
はあ?
意味が
まったく
わかりません。
このような
無責任
極まりない
発言をする
スネ夫たちや
その
関係者の
存在意義、
それは
まさに
日本政治の
劣化の象徴、
では
ないでしょうか?
何の
警鐘?
知床の
はなし
もっかい
かいてみ?
堂々と
でてきて
もっと
大きい声で
「ちのきょじん」
なる
人物と
親子
ともども
いいたいことを
いわれては
いかがでしょう?
「ちのきょじん」
って
知、
にも
もちろん
失礼ですし
巨人軍、
のみなさん
にも
とても
失礼です。
この
意味不明な
主張を
くりかえし
しつこく
する人たち
って
いったい
なんなんでしょうか?
マジに。
ロシアによる
ウクライナ侵略で
いったい
どれだけの
人が
命を
おびやかされ
無念のうちに
お亡くなりに
なられたのでしょうか?
人の生き死にに
関わることも
すべて
政争の具
政争の具
政争の具
って
いかがなもの
でしょうか?
五輪の
汚職、
まあ
お金の話です。
公金だから
けじめとして
やはり
わたくしは
ダメかと
思いますが
まあ
雑に
いうと
まあ
お金の話です。
ゴルフの
会場、
ゴルフから
すれば
やはり
…、
また
マラソンの話
あれは
ほんま
気の毒でした。
あれは
いややわー
っていう。
だけど
それらも
まあまあ
まあまあ
っていう。
しかし
戦争(まがい)
のこと
など
人の生き死に
まで
政争の具
とか
もはや
狂ってるとしか
おもえません。
また
それも
絵に
かいたような
しょーもない
やつらが
っていう。
ここまで
かかせてもらうのは
ほんとうに
そう
お考えなら
まだしも、
それは
政争の具、
ですよね?
っていう。
ポジショントーク
ですよね?
っていう。
それならば
まどろっこしい
いい方せずに
率直に
端的に
いいたいこと
主張されれば
いかがでしょうか?
っていう。
政府の
ウクライナ
復興会議で
「ウクライナは
国の
傾向
として
民族排外的主義が
みられるから
日本の公金を
どれだけ
つかうかは
議論が必要」
とか
これ
意味不明も
いいところ、
専門家の人たち
ほんとうに
嫌だったと
思います。
…。
ちょっと
どうでもいいけど
どこまで
こんなんあんの?
っていう。
なんでも
こんなん
あんの?
っていう。
けっこう
みんな
いややな
と
おもてると
おもいます。
だれでも
そういう
もの
すこしの
わかりにくい
こまかい
けど
あとから
かわってくる
ちがいが
わかるもの
って
ありますよね、
せやけど
どこまでも
どこまでも
もう
なんだか
すべて
政争の具が
まかりとおる、
優先される、
とか
ほんまに
いい加減に
しなければ
いけない
のでは
ないでしょうか?
そして
それほど
重要ならば
さいしょから
もっと
それを
わかりやすく
主張されれば
いかがでしょう?
国民からすれば
ものごとが
まえにすすんで、
より
生活しやすくなる、
これしか
ありません。
なぜ
なんでも
かんでも
政争の具
ゆうせん、
なのでしょうか?
ポジショントーク
なんか
時間の
無駄
でしか
ありません。
時間は
有限です。
無限に
あるものでは
ありません。
ここにて
わたくしが
書いているのは
ごくごく
普通のこと、
の
つもりです。
安倍元首相の
国葬も
しかり。
わんわん
するのは
かまいませんが
騒動が
大きく
なったり
雰囲気が
不穏に
なったり
あと
一週間ですが
なんか
あったら
どうするん
でしょうか?
「国葬」
という
名称が
問題なら
終わってから
仕切り直し
して
また
議論すれば
いいのでは
ないでしょうか?
しかし
終わった後
いま
騒いでいる
人たちほど
あまり
もうなにも
いわないのでは?
そういうの、
を
政争の具
と
よぶのでは?
と
ここ
数日
書いています。
上から目線での
「政争の具」、
優先の
政治は
民主主義を
著しく
劣化させ
その
形骸化を
招きかねません。
もっと
みじかく
いえば
政治家
って
そんな
なんでも
かんでも
そこまで
なにを
いっても
許されるほど
えらいんですか?
っていう。
言葉が
なにも
響かない
ちからも
感じられない
ですが
それ
ほんまに
おもてます?
っていう。
なんで
そんな
ものに
ばかり
みんな
つきあわないと
いけないの
でしょうか?
今回は
ここまでです。
それでは
今回も
最後まで
読んでくださり
ありがとう
ございました。