こんにちは。

お久しぶりです。

それでは

今回も

「スネ夫の生態について」迫る

シリーズ3回目です。

お題は

「一般社会でのスネ夫について」

です。

それでは以下はじまり。

今回は

比較的、簡単です。

まずは定義を

さらっとおさらい。

話し方は上から口調、

にもかかわらず

とにかく

「自分、自分、自分!」の

人です。

もう少し正確に書くと

自分のこと「しか」、

頭にないので、

ものの考え方も

異様に

都合がいい、

です。

これを

ポジティブ

とは言いません。

いわゆる

ポジティブシンキングには

かわいげがあります。

ポジティブと

スネ夫思考は

まったくちがいます。

前回までは

安倍さんの件と

内閣改造というビッグニュースで

規模の大きい話、

となりました。

アメリカにも、

中国にも、

神経を使い続ける

つらたん・日本🗾。

ということで

自動的に

政治家の方もつらたん、

メディアもつらたん、

っていう。

設置が決まった?

消費者庁内の検討会、

と同時に

まじめな話、

国会議員の人たちと

メディアの人たち、

大量の出木杉君みたいな

人たちが

思い詰めて

(スネ夫思考は

決して思いつめたりはしない)

自分が

何を話しているか

何をしているか

訳が分からなくならないようにも

してほしいところです。

出木杉君専用、ホットライン、

みたいな。

話がすこしとびました。

話を戻します。

スネ夫思考の人たちは

日常生活の中にも

普通にいます。

ここをはっきりと確信したのは、

以前から

何度か書かせてもらっている、

「テイカー」「マッチャ―」「ギバー」の

定義区分を読んだときです。

まさに

ああ

同じことを考えている人は

多くいるのだなあ、と。

これについては

我が意を得た、

という方も

少なくないのではないでしょうか。

上の3つの定義については

軽い内容のみです。

が、

この考え方自体が

画期的かと思います。

ちなみに

ここでのスネ夫思考

についての

ふかぼりは

以下であり、

上の3つと

必ずしも同じではありません。

(いちおうおことわりです)。

他人がいないと

なにもはじめられないにもかかわらず

上から目線の物言い、

これが

一番、

タチ悪いと感じる

「スネ夫」的思考、行動をとる

人たちの特徴です。

人というのは

大体ははじめから自分の中に

あるものです、

本音だったり

何がうれしいとか

何が得意とか

あるいは

許せないこと

生理的嫌悪を感じること

などなど。

そして、

人はひとりひとり、

その人その人、です。

あたり前ですが。

逆に

同じって

気持ち悪くないですか?

ここまで読んでいただいている

みなさんはどうでしょうか。

わたくしは

このように考えております。

そういう理由で

上から目線での態度で

他人に同化を求め、

不当な理由で国を侵攻する

ロシア、

今であれば

ロシアとウクライナの関係ですが、

あれがとんでもない光景に

テレビ画面を通してだけでも

感じます。

前も書きましたが、

用事ない方の、

ウクライナが

本当に気の毒です。

ここまで長引き、

当初あった、

ロシアへの同情は

すっかり消え失せました。

° の映像、顔に

モザイクを入れてほしいぐらいです。

最近では

ロシア軍による誤爆情報が相次ぎ、

もうまともな戦闘員がいない、のではと。

やめるにやめられない、だけで

もはや時間の問題、

という見方の一方で

原子力発電所を人質とか

まだそんな狂気の沙汰に

こだわりますか、っていう。

研究者の方が言われていましたが

もうヤケクソ、っていう。

…。

この「ヤケクソ」

ヤケクソ感、

ヤケクソエッセンス

恒常的に使っているのが

スネ夫思考の人たち、

です。

普通の人、

そもそもあまり

ヤケにはなりません。

…。

ものごとを未達で

終わらせたくない、

という自分勝手な

スネ夫思考をもとに

あの手この手を

つかって

しつこくまとわりついてくる

スネ夫思考に負けないで、

主体的行動を

一人でも多くの人が

選択できるよう

陰ながら応援しています。

難しい立場にある日本🗾。

その国が編み出した、

必殺技、

「議論封殺」

とりあえずいまは

横に置いておきます。

そんな中、

どさくさに紛れて

でばってくる

スネ夫思考には

まどわされないように

みなさまお気を付けください。

今回はここまでです。

それでは今回も最後まで

読んでくださりありがとうございました。