こんにちは。
今日は3月1日金曜日です。
ついに新しい月、3月となりました。
3月といえば前回も書きましたが
国内ゴルフと日米の野球がシーズンインです。
阪神タイガース🐯🚃の半年がまた
はじまります。
時間の流れはゲキはやで
おそらくここからお盆ぐらいまで
あっという間に時間は流れそうです。 ドンドコドンドコ。
ゴルフも着々とれんすーをしています。
びっくりするほどのイレギュラーなことが
あってもめげずにれんすーをして
こちょこちょそろっと試合に出る機会を
うかがいたく考えています。
ちなみに
ぜんぜん関係ないですが
Xにて
日本保守党についての
悪口がずらーっと書いてあったので
ふむふむと読んでいました。 ホホー。
日本保守党がどう見られているのか
日本保守党を嫌う人たちが
どういう人たちなのかよくわかり
Xは本当に勉強になります。
もっとさっさとしておくべきでした。
いずれにしても
ゴルフ競技とミックスして
政治主張をするやつなんて
どんなやつやねん、ということかもしれませんが
世の中、何が当たるかわかりません。
セコセコれんすーに精を出したいと思います。
さて
今回もふんわり理解でぶっつけ気味に
社会と政治について上から好き放題
書かせていただくお時間となりました。
前回のお題
「ポジショントークをしない人はいない?」
として
ノーベル賞受賞で多額の補助金を
受ける山中教授に対する反論が
出版という形でなされていた、件を
書かせていただきました。
今回のお題
「ブーメラン」です。
その心は
「いつぞやのアレ、そのままお返しします」です。
それでははじまり。
研究論文を対象にした賞や補助金を
とりあう、学者間での主張を戦わせる
せめぎあいはこうしてあるのですね、と。
そして
山中教授の「再生医療」を巡る
反論群の中に
テロの手間と、テロを防ぐ手間ならば
前者の方がロスは少ない気がする、と書いた、
養老孟司氏も
もしかしてジョインしている?と。
というのも
ある必殺の一文があったからです。
それは
「そもそも細胞というものがなにか
わかっていない」 ドーン。
です。
‥。
この本を読んだのはたしか数年前です。
この一文は記憶にまちがいがなければ
最後の方に出てきます。
読後の感想を覚えていないので
この一文で
「ははーん。
これはあれやな、山中さんに対する話やな」
と。
特に養老孟司さんは
東大医学部を卒業、そして東大の教授を
されていた方なので「ノーベル賞」に
対するお気持ち、(当然ですが)
普通の人間なんかより、
よほどいろいろあるでしょう。
養老さんご自身は、そこまでギラギラした先生では
なさそうです。
が、そこはやはり東大の先生。
東大の教授としてのお考えは
別にいろいろとあったのではないかと
勝手に拝察いたします。
「ノーベル賞」を受賞する関西出身の
大学教授たちへの言葉もつらつらと
あったような気もします。
‥。
ぜんぜん関係ないけど
で、しぬほどどうでもいいけど
「もしかして、東大は『ノー』ノーベル?」 プッ。
と。
さすがに
天下にとどろく東大さまが
『ノー』ノーベルではないと思います
(調べたところ意外なことに理3がなんとゼロ!
卒業生が9人、京大卒業生が8人。教授では2人)
が
なんだか気にしていそうな感じだった
記憶はあります。
ということで
なんだかんだと複雑な感情がありつつ
「そもそも細胞が何かわかっていない」砲が
ドーン💣と発砲された、と。
というのも
この一文は養老氏が書くから効くのであって
人気の養老氏だから書けるのであって
他の人が書くとおかしいです。
もっと書くと
この文章は普通に単純におかしいです。
どこがおかしい点かおわかりでしょうか?
私、この一文を読んだ時
「あー。
このおかしい文、かあ。
ま、学者の方の考えはそうなんだな」
と。
さて
どこがおかしいでしょう?
はい、そうです。
「細胞がなにか、わかっていない」論を
いうならば
その前提として
「なぜ、細胞の定義が必要かを
まず説明しなければならない」と。
もっと厳密に書けば
「細胞の定義が未だ、なのは他の誰でもなく
すべて学者たちのせい。
知らんがな。
税金を受け取っていて、何を言って?
学者たちの怠慢、学者たちのせい。
そんなこと、知らんがな。」
と、一蹴で終わりです。
たとえばわたくし。
ゴルフが社会公器になる可能性を
探ってきました。
たまたまなんとなくしてきただけの
ゴルフ。
今はどの角度からも
けっこうわかっているつもりですが
まだまだ、わかっていないな、という時期も
もちろんありました。
というか
完全にわかってしまうよりも
むしろ
そういうことを考えている時の方が
楽しい、みたいなところがあります。
とにかく
自分の気が済むまで、何周も何周も考える。
ですので
「ゴルフが社会公器になる可能性」の
説明の前に
(たとえその考え事がどれだけ途中経過でも)
「なぜ、ゴルフが社会公器になりうるか?」
「なぜ、ゴルフの普及が社会貢献となり得るか?」
などの前提はスラスラと説明できます。
養老氏の話にもどします。
「細胞が何か、そもそもわかっていない」
は
養老氏ならではのまさに必殺の一文です。
あの
ベストセラーの養老孟司だから書ける言葉。
ただの無名の学者がこんなことは
書けません。
なぜか?
理由は簡単。
社会にいる一般人からすると
「?、しらんがな。」
で、終わる話。
「そもそも」
社会にいる一般人は
細胞、ノーベル賞、東大、医学部、
に
興味はありません。
それよりも
「病気が治ればいいね」
「難病が一つでもなくなればいいね」
だけ。
‥。
もし
私が予算を振り分ける官僚ならば
「動的平衡」を読んでも
山中教授への補助金を削ったりはしません。
むしろ
「山中先生、先生なりの理想は
あるかもしれませんが髪や歯や爪、など
商業化につながれば大きそうなパーツの
話も研究されたらどうでっしゃろ?」
などを
ズカズカ、ズケズケとアドバイスします。
結果も必要ならば
それを考えつつ
今までの理想の研究がどうすれば残せるか?を
考えます。
ご病気の方々が希望を感じることができれば
ノーベル賞だろうがiPS細胞だろうが
STAP細胞だろうが割烹着だろうが
動的平衡だろうが、なんでもいいのです。
患者さんのモチベーションになるなら
それはそれで立派な研究では?と。
年間13億円という予算額が
どれほどの数字かわかりませんが
研究の質が維持できるように
ギリギリまで考えます。
話をもどしまして。
実際は
もっと複雑な事情があり難儀な話も
あるでしょう。
が
これを書いた理由は
予算振り分け担当の官僚の方が
まさに大阪万博の事業で
大阪府市に特別顧問として派遣された
人だったから、です。
少し前、この人事が発表された時
万博はまず、うまくいかないなと。 シッパイシロ!
さらに話をもどします。
養老氏の一文は
養老氏だからこそのもの、です。
というわけで
もし養老氏が
反ノーベルの意味合い「だけ」で
この一文を書かれたのならば
昔々いつぞや
養老氏が書かれた一文の言質を
そのままお返しします。
「『どうせ同じ』です」、と。
今回はここまでです。
『反・テロ擁護キャンペーン☆彡』
として
東大ディスりはまだあと少し
続きます。
どうぞお付き合いくださいませ☆彡
それでは今回も長い文章を
最後まで読んでくださり
ありがとうございました。