こんにちは。
今日は6月29日木曜日、
雨かと
思われた今日でしたが
けっこう晴れた一日でした。
とくに
午前中は暑かったですが
午後からは
過ごしやすかったように思います。
ちなみに明日の予報は
下り坂のようです。
さて
今回もふんわり理解でぶっつけ気味に
ロシアによる
ウクライナ侵略と
その他の話題について
上から好き放題
書かせていただくお時間となりました。
前回
「二番目の富豪の存在?」として
今回、起きた
ロシア内での武装反乱、
そう遠くない時期で
また
起こるのでは?
と
いう内容を書かせていただきました。
今回のお題
「噛み合わない話」です。
それでははじまり。
今回の
「プリゴジン氏の乱」
には
熱烈な
支援やバックアップまでは
いかなくとも
なんとなく
乱の計画を
事前に知っていて
その実行を黙認していた?
と
思われる?人たちが
ぽつぽつと
報道されてきているようです。
普通に考えれば
そりゃそうでしょうね、
という話です。
…。
この先の内容、
さらに?深掘り?をして
たーっと
書けるのですが
おそらく
過去最高に
ガラの悪い?
文になりそう、
と。
あまり
過激に書いても
あれですので
勝手な
予測?
としまして?
前回どおり
年内、
もう一度ぐらいは
同じようなことが
起こるのではないか?
と
いうことで
ここでのこの話は
締め切っておきます。
あと
やはり
プーチンはひとり、
大宮殿で大号泣をしていた、
可能性大?
と。
また
仮病シェンコに関しても
配備された
ロシアの戦術核にまで
言及するなど
あいかわらず?の
態度を示しているようです。
以前も
書きましたが
プーチン、
仮病シェンコ、
プリゴジン氏、
など
なんだったら
ロシアングループ
(夢グループではない)
のその他も
合わせて
ウクライナとは
別のところで
勝手にやりあってくれれば
みんな助かります。
少し前置きが
長くなりました。
今回の
「プリゴジンの乱」も
あったので
先週から
内容は
なんだかんだと
ロシアについての話でした。
これがなければ
ナウい社会問題?と
セットの
🎈税金🎈の周りから
離れようとしない、
人たちについてを
書いていたと思われます。
ちなみに
こういう人たちの
いろいろな記事なども
拝見するのですが
なんだか
話、かみ合わなさそう、
と。
ここについては
すこし
考える時間を
設けるかもしれません。
考える、と
書きましたが
考えていることは
たしかに
あるのですが
なんと書きますか、
もし
考えていることを
すべて書きますと
これまた
おかしな感じになるかもしれません。
というのも
前回も
たれまくのところで
書きましたが
質問に
答えない、
あるいは
答えられない、
でしょう、と。
話、かみ合わない、と。
ここの
単純な部分について
おそらく
わたくしだけじゃなく
大多数の人たちが
疑問に感じ
また
あきらめているのでしょうね、
と感じます。
しかし
たとえば
今回の
ロシアによる
ウクライナ侵略、
のような
ほんとうに
意味の分からない
出来事、
現実に
起こりました。
今回の
乱の
いろいろをみていると
もしかすると
プーチンたちからすれば
ウクライナ侵略なんて
起きていない、
とさえ
考えていそうです。
侵攻前
まさかそんなことは
起きないだろうと
考えられていた、
侵攻は起きないの
起きない、ではなく。
おそらく
侵攻は失敗するでしょう。
プーチンたちは
侵攻に失敗し、
その次は
侵攻なんて起きていない、
自分たちは起こしていない、
と
言い出しそうやな、と。
そんなプーチンたちの中で
何が起きようが
関係ないわけです。
ウクライナでさえ。
少し前、
ここのネタを
パクる人に
何度も
書いているにもかかわらず
パクるので
まず
むちゃくちゃ
気色悪いし
かなり
気分が悪いので
それを
ここで書きました。
常識的な人ならば
やはり
そこでやめると
思います。
しかし
人がどう思おうが
自分がいいからと
パクり続けるということ、
しかも
このパクリは
啓蒙?動画を
配信しているので
ものすごい神経を
しているんだな
と。
またこれを
見ている人がいる?
のでしょうから
とても
悲しい話です。
かなり
単純に書くと
極端なほどの
現実逃避?を
していることになります。
ですが
わたくしは
腹が立つ以上
いくらでも
ここへ
書きます。
そして
このパクリから
人は
減っていくだろうな
とも
思います。
それと同時に
結局、
現実を
解釈できない、
人たちって
いるんだな、と
率直に感じます。
ですから
話、かみ合わない
と。
話の内容が
何についてで
あっても
そもそもの
ここを
考えなければ
ダメだろうな
と。
自分の方へ
話を
巻こう巻こうと
する人たちって
ものすごくいるんだな、と。
いつも書きますが
たとえば
これがゴルフであれば
全プレイヤー、
自分のボールしか
進めません。
ものすごくシンプルです。
審判さえいません。
スコアの
足し算が間違っていても
ホールバイホールの
スコアをカウントができていて
最後に
自分の名前をサインして
アテストの人の名前も
サインしてもらって
それで
そのラウンドのスコアは採用です。
ほんとうなら
こうだっただけど
こっちにしておいた、
なんてことまずありません。
何打で
ボールがカップインしたかしか
問われていません。
自分の球しか
打ちませんから
外すことできても
代わりに入れてあげる
や
入ったことにしてあげようとか
いっさい
ありません。
プレー中、
他人のプレーに
影響されても
それは
お互い様です。
打数しか競っていない、
単純な競技です。
現実は現実、です。
そのままですが。
…。
パーはパーですし
ボギーはボギー、
とてもわかりやすいです。
パーがバーディーになったり
ボギーがパーにはなりません。
…。
ですが
どうも
ちがうのですね、と。
…。
現実を
解釈できない、
とは
どういうことなんだろう、と。
…。
もしかして
そんなに
毎日が
辛いのでしょうかね?
と
思いたくなるほど、です。
…。
意見の相違
と
いうことではなく
話が
かみ合わない、
と
いうことについて
考えなければ
いけない気がしています。
そういう気、
勝手に
しているだけで
ほんとうは
そんなこと、
ないのかもしれませんが。
しかし
パクるな
と書いても書いても
超絶気色の悪い
ストーカー?のごとく
パクるように
(しかもそれで
啓蒙動画とか
ホラーでしかない。
人から気持ち悪いと
思われても
何も思わない
というのが
また気持ち悪い)
現実を
解釈できない、
とは
どういうことなのでしょうかね?
と。
結局
こういう人たちは
そういうことなのでは
ないかな?
と
考えています。
今回はここまでです。
それでは
今回も最後まで
読んでくださり
ありがとうございました。