こんにちは。

今日は8月24日水曜日です。

最近、一時期の暑さからは

すこし解放されつつあります。

やはり過ごしやすいですね。

さて、

今回も

ふんわりしか

わかって?いないのに

(ふんわりも

わかっていないかもしれませんが)

えらそうに

政治の話を書かせてもらう

お時間となりました。

それではスタートです。

前回、

日本🗾は

森羅万象の国、

というところで

終わりました。

…。

ところで

森羅万象

とはなんなんでしょう?

「天地間に存在する、

数限りないすべてのもの(万象)や事象」、

だそうです。

人々が

こうなんだ!

こうするんだ!

と、

意思を表示するというよりも

「なるようになる」

と、

とも言われておりました。

…。

これ、

わかりみ、あります。

日本の人は

白々しいことを

嫌うイメージあります。

素(す)、

っていう。

少し話は変わります。

いくら

森羅万象の国・日本🗾でも

「外国」との

お付き合いや

連携なくして

やっていけない、という

お話を今も報道番組で

拝見いたしました。

…。

全然関係ないですが、

わたくし、

自分のこれまでの

経験則として

「なにを」どなたがお話になられているか、

よりも

「どなたが」なにをお話になられているか、

です。

一言でいえば

キャラ  >>>  話や主張の内容

です。

味わいのあるキャラの人が

登場してきますと

「この人、おもしろいんでは」

っていう。

こないだも

質問におこたえする

専門家の方が

もはや

テープレコーダーの

ように

話されていました。

ちょっと笑ってしまいましたが、

もう何百万回も

同じことに

お答えされてきたのだろうな、

っていう。

たしかに

質問の前に

ホームページ、

みてください、

やわな、っていう。

何が

言いたいかと言いますと、

人のネタを

パクっているにもかかわらず

上から目線で話す人、

はほんとうに論外ですが

結局、

なんであっても

人間がしています。

しかし、

森羅万象の国・日本🗾

に、

すまう人たちは

そこはあんまり

そういう感じではないのかな、

っていう。

キャラある・なしについて

重視ではない?、

っていう。

最近でも

しばしば話題に上る

安倍さん(ヤクルトファン?)

の「国葬」問題。

いまだ、賛否が分かれている?

みたいですが

わたくしは

最初から

賛成派です。

「国葬」

という響きがもつ意味合いや

弔意を強制、

あるいは決定までのプロセス、

など

諸問題もあるかとは思います。

が、

外国の要人が

大勢、来日される場を

国単位で用意をする、

で考えた場合、

やはり「国葬」になるのかな、

という受け取りです。

ちがうのかもしれませんが。

もしそうであれば、

国単位の催し、

になる、

これは別にいいのでは、っていう。

というか、そうなるのは

仕方ない気がしますが、

っていう。

「国葬」という名称に

問題があれば、

「しずかちゃん・安倍さんお別れの会」

などはいかがでしょう?

…。

話題の性格上、

あまり

ふさわしくない話の展開ついでに

もうひとつ。

税金をかけるなんて、

という論点も

あるようですが

これこそ、

ザ・日本🗾やな、

という気がしております。

お気を悪くしたらすいません。

税金や!

の人たちに対しては、

もとを

とればいいのですよね?

っていう発想を

決定した人たちに

あれば問題ありません。

というか

やはり

きっかけは

悲しい出来事ではありますが、

それでも

外国の要人の方たちが

来日し、

弔意を表してくれる、

というならば、

そんな人たちに

直接お目にかかれる機会を

もてるならば、

警備などの問題はあっても

積極的に

おむかえしてもいいのではないでしょうか?

そんなに

あれかなー?

というのが

わたくしの正直な認識です。

直接会う、

というのは

とっても貴重な機会、

では?っていう。

おかしな

あきらかイミフな

°みたいな

(この方、出禁ですが)

次のスネ夫になりそうな

人(国)も見抜けるかもしれません。

くりかえしとなりますが

この話に関して

本来の意味合いや意義が曖昧になる、

特例をつくる、

のでは

っていう

懸念は承知の上で、

このような機会を

設けること、

税金であっても

それなりに意味あるとは思います。

もちろん

その使途についての

規模や金額が納得できる範囲、

というのは大前提ではあります。

名称が「国葬」、

にはなってしまいますが、

事実上は

国主催のお別れの会です、

みたいな

ところなのではないでしょうかね?

っていう。

時間もお金もかけて

かけたものたちが

なにかしら

形に変えて

いつか

いいタイミングで

返ってきますよ、

っていうのは

こういう類の議論では

しばしば思うところではあります。

岸田さん(広島ファン)が

コロナに罹患して

きゃーとなっても

中国在住の習さんから

お見舞いの電報がきたり

するわけです。

森羅万象の国・日本🗾が

手堅く、

というのはある意味で

至極当然のような気もしますが

そこまで

何でも

同じようにとらえて

がっちがちに物事を考えまくる

必要はない気はしています。

ほんとうに

正論も正論、

ド正論ではありますがね、

国葬も首相のコロナについても。

しかし

エピソード、

のような見方で

とらえた時、

そこまででもない気はします、

というのが

わたくしの感想ではあります。

「国葬」という

位置づけについての議論は

ともかくとして

(それが主眼かもしれませんが)

国主催の

安倍さん(ヤクルトファン?)

お別れのセレモニー、

と考えたら

どちらかと言えば

可能であれば

開催した方がいい気がする、

というのがわたくしの

意見ではあります。

森羅万象の国・日本🗾。

どこまで森羅万象か、

あるいは

どこまでも森羅万象なのか、

というこれ、

最近、ままきく

「線引き」の言葉、

ここでもまさに、っていう。

そして、

これが一番難しいのは

まちがいないでしょう。

が、

ひとつひとつの出来事を

失敗はあっても

トレーニングとしていってほしいですね。

今回はここまです。

それでは

今回も最後まで読んでくださり

ありがとうございました。