こんにちは。

今回も『も』のつづき、

「もったいない~とい(ってくる)う人について」2回目です。

全然関係ない話をするようですが、

つい最近まで、阪神タイガースの近本光司選手が30試合連続安打を

記録されていました。

あのバットの使い方をよく見てもらえれば、

グリーン上で、ショートパットを

ぽろっと外しても、「もったいないー」と

言われることは格段に少なくなることでしょう。

…。

おわり?

と思われた方、はい、今回はここまでです。

なんとなく重苦しいので申し訳ないですが、

近本選手のバッティングを参考にゆっくりお考え下さい。

機会を改めて説明、書きたいと思います。

ところで昨日は週開け、月曜日でした。

一昨日が参議院選挙の投開票日、全議席、確定したそうです。

あたりまえですが。

そして先週金曜日以来、安倍さんについての

続報が絶え間なくずっとある状態です。

ここから以降はそのことについてつらつらとかいています。

選挙期間中、安倍さんをつけ回していた、

との供述もあるようで

むちゃくちゃこわいはなし、こわすぎますね。

変わっている人というのはほんとうに変わっている、

というか

人の意見や意思などまるでおかいまいなし、

自分の都合のいい思い込みだけが正義?

っていう。

ようはただただ「居直り」。

矢印が自分へ向かっているならば無問題ですが、

それが人へ向かっている場合はただ事ではありません。

しつこくしつこくしていたら、

思いは通ってなんとかなる、と考えるものでしょうか?

こわすぎる話です。

痛ましいこの事件を

各メディアが様々な角度で報じるにあたり、

ニュースとしてどう取り扱い、どう考えるか、

をもっと慎重にするべき、というご意見も散見されます。

事件の全容や背景など事実確認はまだまだこれから、

そして本当のところが何なのか、

もしかするとすべてはずっとわからないままかも、しれません。

しかし、実行?に移す?までの「つけ回していた」という点、

この時間の中で我に返らないものなのかな?と不思議でなりません。

居直り(やあるいは開き直り)といったこと、

これをする人たちについてどう考えるか、どうするか、

のここの部分、においても、

この事件は小さくないのではないでしょうか。

そこに至るまでの個人的な事情のあらゆる段階、

もしかすると社会背景もあるかもしれませんが、

そんな一切合切、最後の最後、ぶつけられる人からすると

本当にたまったものではありません。

応援演説中、という社会活動中の出来事でした。

社会人として不可避なことにつけこむ、

強い思い込みをも通り過ぎた、

「居直り(あるいは開き直り)」。

自分がそうしたいから、という理由だけで、

特定の人に向かっていろいろする、その一心、っていう。

くそ暑い中、あんなむさくるしいものを持ち歩きながら、

つけ回していた、その間に冷静にならないなんて、

ちょっと考えられない感覚です。

そのことについて人からどう思われても関係なし、

冷静にものが考えられない、

自分のコントロールが全然できない、

挙句の果て、

100%、自分の都合のいいようにものを考える、

これこれこういうわけでよってこれらは仕方がないんだ!

っていう。

誹謗中傷、侮辱罪のところでも少し書きましたが、

つけ回しも同じこと。

「他者依存」という状態にもかかわらず、

考えが暴力的な人。

ここまでの極端な形は珍しいのかもしれませんが、

このような人たちはもしかすると

日本の中にけっこういるのかもしれません。

個人的な理由や社会背景など、

いろいろなことに加え、その他、さまざまな偶然や

突発的なことなどもかさなってかさなって、

起きたこと(事件の事実としてはそうかもしれませんが)、

だけではないのではないでしょうか?

ネガティブすぎる、あるいはその逆の、ポジティブすぎる、

のような人たち。

自分の中が自分の思考と感情のみでいっぱい、

の人たち。

自分が思う通りの、極端な行動に出る、出ようとする、

何が何でもそうしないと気が済まない、

自分や他人をふくむ、あらゆることについて

ま、いいか、がぜんぜんない、

このような人たちは意外と少なくないのかもしれません。

この部分だけでもとても考えさせられます。

コースではひとのことをどうのこうのいうのやめようと

ここにてつどつどかかせてもらっていますが、

ひとをつけまわすのもやめましょう。

「他者依存」、こわすぎます、というはなしでした。

今回はここまでです。

次回は『や』です。

それでは今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。