こんにちは。
今日から7月です。
いきなりおことわりです。
今回は『む』のつづき、ではありません。
(社)JLPGAから「誹謗中傷」についてのアナウンスメント(22’6.30付け)
がありました。
このことについて再度、述べたいとおもいます。
このリリースがあったとて、世間という大海原からみれば、
そこまで大したことでもないかもしれませんが書かせていただきます。
「誹謗中傷」であれ「侮辱」であれ、人から何かを言われることは
何も言われないことよりもマシ、というご意見、あります。
これはこれでまったくおかしい話ではありません、
十分、そうとも言えるでしょう。
しかしです。
生意気に反論をさせていただきますと、
わたくしが問題視しているのは、言われている側の問題では、
一ミリもないということです。
「誹謗中傷」「他者を侮辱」の行為の問題点は、
言っている側の問題、にのみあると考えます。
にもかかわらず、
言われている側がものすごく悪い、問題があるかのようなことに
なっている、見られている、ということです。
まあまあ悪質な行為、と言わざるを得ません。
たとえば今、国会議員の方?も問題になっているようですが
このケースは仕方がないかな、とは思います。
問題が国の税金、に関係していくこと、
これは仕方がないとは思いますが、それ以外のことであれば、
その当事者たちが対処する話、どうにかする話、では?と。
逆にお聞きしますが、
問題やお悩みが何もない人なんてこの世にいますか?という話です。
さらに、法に抵触しているかどうかでいえば、ほとんどの人が
善良な市民、国民では?としかわたくしには思えませんが。
赤の他人たちが目くじら立てて書き込みをしたり発信をしたり、
するほどの「問題」なんてありますか?と。
仮に問題があっても、その人(たち)の話であって、
赤の他人たちには無関係なことです。
「いう」は表現の自由、権利といいますが、
わたくしから言わせていただきますと、
あまりにも意味不明にしつこい場合、
あるいは気持ち悪さを感じるなどした場合、
言われている側は言う側へ
(ポジショントークにしても粘着質トークにしても)、
「他者依存」認定をしてもいいとさえ思います。
騒音やノイズに対し、うるさいなーと思えば、
静かにしていただけませんか?ということ、当然ではないでしょうか。
「誹謗中傷」「他者を侮辱」する行為の問題点は
執拗に言う側にのみ、それがあり、
「他者依存」という形で噴き出している、
強烈な承認欲求の成れの果て、というだけの話。
仮に言われる側に「問題」があったとしても、
それとこれとはまったく別の話。
すっとぼけて、自分が抱える心の闇とすり替えをしているだけ、
ではないでしょうか?というのがわたくしの主張です。
いわれているうちが華、というのかもしれませんが、
ここまでウェブもSNSも全盛になった今、
わたくしには、自分(言う人)の心暗い部分のために、
他者(言われる人)攻撃し、あわよくば貶めることで
すり替え、埋めようとしているだけ、にしか感じません。
なかなかの悪質な行為、と思います。
少し想像してみてください、
みなさんのお知り合いの方が、匿名でコメント等していたら、
気持ち悪くないですか?(あるいは心配)、
どれだけの正論がそこには書かれていても。
「誹謗中傷」や「他者を侮辱」することの問題点とは、
何かしらある事象についての指摘らしきことを言われる側ではなく
言う側に問題がある、ということであります。
また、その「他者へ言う」という行為がまわりまわって、
発言者自身がどれだけの損をしているか、と。
…。
あつのかましい人、ケチな人、イケズな人というのは、
平凡に過ごしているだけでは、この先の自分の身の上に
いいことなんてあまりおこらない、
という気がして仕方がない人たち、と
いえるかもしれません(しりませんが)。
そうかんがえると、
「誹謗中傷」「他者を侮辱」する人たちが完全には
なくならないかもしれませんが。
ひとのことをどうのこうのいうのはやめたほうがいい、
と、
ひとのことをどうのこうのいうひとたちのことを
どうのこうのいうばにここがもはや、なっていても
これからもおりにふれていいまくっていきたいしょぞんです。
今回はここまでです。
次回、『む』のつづきです。
(また同じような話ならすいません)。
それでは今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。