こんにちは。
そろそろいよいよ、梅雨入りだそうです。
しとしと&じめじめは例年7月の祝日、「海の日」ぐらいまで続きます。
暑かったり寒かったり豪雨だったりとハードな日もありますが
体調管理に気をつけて過ごしていきたいですね。
さて今回も『の』、「ノートになにを書く」2回目です。
前回は書くことなければ「なにもなし」と書き、あればそのことを書くでいい、と。
現代人は「アウトプット&インプット」に精を出すようにある意味では小さいころから
すり込まれている部分が多々ありますが、そもそもの話として、物事にあたるのに
「集中力」は欠かせない、というかこれがなければ何も始まりません。
自分なりの「集中力の源」に目を向けていく、そのような方向に社会が
動いていっている、というお話でした。
仮にノートにびっしりと書いてあっても、結論が何なのか、ノート見なければ
話せないような内容ならば、そもそもそこまで大切ではない、でいいと思います。
途中経過を整理するのに書くなどのアウトプットはとても有効なので
どちらかといえば、結論ありき(この場合、とくに最終形が自分のイメージに
対してのものであれば、それはその時点でほとんどバレている、と考えた方がいい)
のような形よりもそのまま書いて、あとはなすがままの方が面白い、という考えです。
始動が遅くても、じっくりといくほうがいい、本来がそれぐらいのスピードだろうと。
ゴルフというスポーツがこのような大切な社会インフラに溶け込むとしてその形を
想像、仮定した場合、今のゴルフ産業界にあるような、
「結果のためにスィングやクラブを替える」は、その「結果」なるものの部分を
提供側がとてもよく説明しなければいけないでしょう。
コロナや今の欧州での戦争を眺めていて痛切に考えさせられることは、
たくさんありますが、その中の一つに、社会インフラの大切さがあります。
ところで話は変わりますが、プーチンによるウクライナ侵略に対して
西側各国の興味が薄れている、と最近の報道などでもよく見聞きしますが、
それは早計では?とおもいますが、ちがいますかね?
確かに報道量は減っていますが、それが西側世論の興味関心の低下、には
すぐにはつながらないでしょう。
すくなくとも報道は見ていますし、ロシアの言い分ややり方を認められるわけが
ない、ということになにも変わりはありません。
プーチンの最近の言動を見ていて感じるのは、開始当初、おそらくは想像していなった
思いがけない反撃にあいながらボロボロになりながら、でもなんとか
ここまで戦闘を続行させ、戦争(か作戦かしりませんが)の大義名分が見つかって、
ホッとしているようなわけのわからない状態に見えます。
ピョートル大帝の記念日とやらでの映像をみましたが、領土拡大が責務、だなんてこと、
最初からそれをプーチンが描いていたとは到底思えません。
いやいやそんなことを言うてるんじゃなくて、最初からそれを考えていなかった、
浅はかな作戦を後悔しているのでは?と。
領土はほしいのかもしれませんが、杜撰な方法をとった結果、
本物の戦闘となり戦争続行しかない状況に自分で追い込んでしまった、やめたいが
やめるにもやめられない、その間にもロシアという国力はどんどんなくなっていき、
どこかで決断するしかない、ということをどこで受け入れるのかを西側は
いろいろな事情ありつつもじーっと見ている状況、ではないでしょうか?
中国が諜報員上がりのおっちゃん大統領ひとりの人生ドラマに
つき合わされて、はなはだばかばかしい状態、だろうなと。
ともかく、西側の世論の興味が薄れてきている、というよりも、
プーチンががんばってがんばって中国とロシア国民とどれだけ
何を思いこもうが、大勢は変わらない、ではと。
興味が薄れてきている、というよりも、
「今のこの時代に本当に正気ですか?」という問いへの
返事待ちの時間でしょう。
話を戻します。
ゴルフが目的、でもそれはそれでいい、される方たちの自由です。
しかしゴルフが手段、という時代にすでにすっかり突入、
ゴルフだけではない、あらゆることがそうだろうな、と。
そういったことを自分自身の中ではっきりさせて、惑わされてはいけない、
というお話でした。
優越感・劣等感、自慢・コンプレックス、をくすぐる形態のビジネスなんて
本当に古くさい話です。
その価値観しかない人たちや、全体の2割いるとされている「テイカーさん」の
ご都合主義な主張ややり方に騙されないように気を付けましょう、というお話でした。
今回はここまでです。
次回は『は』です。
それでは今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。