こんにちは。
更新が少し遅い時刻となってしまいました。
今週も一週間、お疲れさまでした。
お休みの方もお仕事の方も、よい週末にしてください。
さて今回も『ね』、「寝こむほどの集中力」の3回目です。
この『ね』の回では、米男子ツアーのPGAシード選手をふくむ、
たくさんの世界ランカーがノーマン新リーグ参加→PGA追放、
騒動についてを取り上げさせていただいています。
前回までの二回にわたり、個人の感覚としては、参加選手がいること、
また、参加するという意思を選手本人が明確に出すことに関して、
理解できる派、と書きました。
PGAツアーのファンでもあり、よく視聴している(つもりの)
わたくしではありますが、この新リーグの先行きや、
選手勧誘・引き抜き方法の是非はともかく、参加すること自体、
またそれによって発生する、あらゆるリスクやペナルティーも
全部こみこみで選手自体が判断し、決定しているなら、
これはいいのでは、という意見です。
この問題には、PGAが世界最高峰の男子ツアーを運営、統括をすることで、
そこに付随するさまざまな既得権との話ももちろんあるでしょう。
が。
「『世界ランカーが集まるフィールド』の価値(や価格)を
決定するのはだれ?」という一点に問題の主眼を置いたとき
このノーマンの新リーグのお話は少し難しく深く面白くなります、というのが
ここまでの内容です。
この騒動のわたくしなりのキーポイントは「寝こむほどの集中力」と書きました。
その心は、「やはりファンは透明性を求める」です。
MLBチームの「ロサンゼルス・エンゼルス」の前監督、ジョー・マドン監督の
ニュースでも思いましたが、なんであってもいいのはいい(あたりまえですが)ですが、
よすぎる、という場合、それはそれで全体の緊張感キープに支障が出る、
とも書きました。
ファンが見たいのは、
緊張感+透明性=寝こむほどの集中力
だろう、と。
(パフォーマンスをする側は大変でしょうが)
これで考えた場合、新リーグへ参加する選手たちやノーマンの新リーグの行く末、
というよりも、むしろPGAの行く末、というよりPGAの本来のあるべき姿、もしくは
PGAがここからどう進化するか、がもう少し先の問題として
大きく注目されるのでは、と考えます。
なぜこう考えるのか。
これは単純な根拠です。
このノーマンの新リーグへの参加表明をした選手たちの顔ぶれです。
ここまで考えると、次の新しい問いが出てきます。
それは、「ファンとは?」です。
ファン、を一言で説明すると、視聴者あるいは選手を応援する
(してくれる)人たち、となります。
では次の問いです。
選手は、ファンになりえないのか?です。
もう少し突っ込みますと、選手をふくむ関係者は、ファン?
選手は選手、関係者は関係者、ファン、とはよばない、でしょうか?
この人たちは、ファンではないのでしょうか?
わたくしが前回、日本男子ツアーの現状に対して、苦言を呈していた
人たちは今のこのPGAの騒動についてもっと発信をするべき、と
書いた理由はここにあります。
ゴルフには、ただのゴルフ(するゴルフ)とプロゴルフ(みるゴルフ)があります。
巨大化していくプロゴルフのあり方は、それを抱える(ただの)ゴルフの
あり方にも必ず影響を及ぼすでしょう。
次から次に出てくる様々な問題や課題、はそれらを乗り越えるたび、
ゴルフ本体を筋肉質に変えていってくれるもの、と考えます。
心地の良すぎる状態、と緊張感や透明性の中での「寝こむほどの集中力」は
似て非なるものです。少し微妙な話ですが。
プロゴルフは温かくも厳しい「ファン」に支えられてこそ、です。
裏を返せば、プロゴルフのライバルは「ファン」である、
とも言えなくもないです。
プロゴルフ界の人たちが「ファン目線」をどれだけもち続けることができるのか、
「プロゴルフ」の本場、アメリカツアーでのこの出来事、推移を見守りたいと
思います。
今回はここまでです。
次回は『の』です。
それでは今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。