こんにちは、お久しぶりです。
ここをのぞいてくださってくれているみなさまにおかれましては
お元気でお過ごしのこととうれしく思います。
週明けは、強い雨や目まぐるしく変わるお天気で、悪くなる足元と
大きい寒暖差というハードなコンディションでした。
体調にお気をつけてどうぞお過ごしくださいませ。
さて今回も『ぬ』、「ぬしは不安?」の3回目です。
初回、「まじめな敬語」が飛び交う日本🗾のコースでは
「ぬし」なるものの素地や土壌をまずは育ててしまっている、と。
また、2回目の前回、ゴルフの複雑さに足が止まりあきらか、手持無沙汰に
なっている人たちが、コース上で人のことをどうのこうのと言っています。
そういった心理の裏には自分の現状に対する不満や不安や心配があるのでは、と。
このような話題を取り上げられることができる時代の間に、
この人たちについて冷静にしっかりと考えおくべき、と。
社会人の方のゴルフ立ち上げ期間🔰について、考えられるいろいろな角度、
可能であれば、全方位での「お金がかからない」最短方法を考えている立場の
ものからするとおそらくここは避けて通れない、という内容でした。
3回目の今回、結論として、
「ゴルフのぬし(≒テイカーさん)の方たち同士で回る仕組みがあってもいい」です。
毎度毎度、同じような内容のことを繰り返しているような気もしていますが話を進めます。
社会人の方のゴルフ立ち上げ期間🔰は、ハイテンション&ナイーブ、です。
0歳児ですが、とても雄弁にお話をされます。
そこを泣かない(本当に泣く大人はほとんどいない)ように、やめないように、
「せやなせやな(そうですねそうですね)」、と。
ご機嫌さんをキープできるよう、ハイテンション&ナイーブ0歳児を、
そろそろそろそろと、こちらが扱っていても、
コースでどなたかにいらんことを言われた、などの理由であっという間におじゃんに。
…。
ええ加減、日本🗾中(もしかすると世界中🌎?)でくり返されて(きて)いるだろう、
この状況に終止符を打つべく、社会人の方のゴルフ立ち上げ期間🔰について集中的に
一人で勝手に研究しているところではあります。
これぐらいだろうなー、というおおよその輪郭ぐらいはあるのですが。
しかし。
ここ数日、「(不安気な)ぬし」なる人たちのことを考えていて、
「ていうか、この人たち同士で回ればはやいやん」と。
人間というのは、なんだかんだと最後はおなじもの同士が一緒にいます。
日ごろから、人へイケズをくり出し、それを養分にしている人たちは、
そのグループ内でお互いが共食いでもなんでもすればいいのでは?と。
ここで。
最近、ここにて大流行の「My Revolution」の歌詞の中のある一小節を
みてみたいと思います。
「きっと本当の悲しみなんて自分一人で癒すものさ~♪」
の部分。
冒頭の「きっと」から、これを提唱されている方が
「テイカーさん」ではなさそう、ということがうかがえます(しりませんが)。
ですので。
「とはいえ、この曲がリリースされた1986年は昭和61年。
平成を経て、令和4年の今、テイカーさんっちゅう人たちは、
他人のルンルンを自分のルンルンにするからなあ」と。
「My Revolution」の中のような人たちばかりではないことが解明されてきた現代。
一定のある人たちには、「自分のルンルンは自分で!」ということが通用しません。
自分の心の安寧のためだけに、人を攻撃する、
という人たちが慢性的に抱える、不安な気持ち。
他人のルンルンで埋められるわけがないことぐらいわかりそうですが、
おそらくここについては平行線でしょう。
というわけで、「ぬし、なる人たち同士でラウンドをする」が、
「(不安気な)ぬし」なる人たちへの解決策にいいのでは、というお話でした。
今回はここまでです。
次回は『ね』です。
それでは今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。