こんにちは。
『き』のお題、「気のせい」です。
今、ウクライナが隣国のロシアから不当な攻撃や侵攻を受けています。
これは気のせいでもなんでもありません。
本当に実際に起こっていることです。
しかし、スポーツでもありゲームでもあるゴルフでは、
これをどう考えるか?のような、不思議なことがしばしば起こります。
それを「気のせいにするかどうか」、つまり「気にするかどうか」という
受け止め方のちがい、これは何によるところが大きいのでしょうか?
受け止め方のちがいはどこから?のようなお話が今回の内容です。
たとえば、こないだ、ロッテの佐々木投手が審判員の方にマウンドへ
詰め寄られる、というシーンがあり、いまも大きく物議をかもしています。
これが問題になっているのは、選手と審判員が、まさににらみ合いを
しかも公式戦で、もっと言えばお客さんの前でした、ということでしょう。
審判員から選手、それも二十歳の選手へマウンドに向かって歩き、詰め寄る、
なんて行為は前代未聞です。佐々木投手、二十歳の選手、ということにも
別の問題はあるとは思いますが、まずは、試合を止めた、そして試合をみていた、
観客のみなさんが強い違和感を感じた、ということについての説明責任は
発生するだろうな、と。
そういうルールがあるのかわかりませんが本来であれば、求められれば少なくとも、
説明をしなければいけないでしょう。
いい悪いももちろんあるのかもしれませんが、なぜ佐々木投手へ詰め寄ったのか、
判定に不服そうな、というのが報道の内容のようです。
これもいわば、「気のせい」かもしれませんし、本当にそうだったかもしれません。
これはご本人たち、その場にいた人たちしかわかりません。
しかし、二十歳の投手が記録のかかっている試合の第一球をうたれて、記録?が途切れ、
テンションが落ちて、集中力が低くなり、気持ちも乱れて、となってもなにも
不思議ではない気もします。
記録も打たれた、ということで、いい途切れ方でよかったとも思います。
ですので、そもそも審判員の人ははなから関係ない、というか。
この人へ、どうこうというより、ほんまに「気のせい」ではなかったのでは、
まあまあ若手の二十歳の選手だし、とは思えなかったのかな、とは思います。
あまり適切な例ではないかもしれませんが、何が言いたいかというと、
この「気のせい」はゴルフでも面白い、ということです。
同伴競技者もいる競技なので、他者に対しての、もあるとは思いますが、
自分のプレーに対する「気のせい」、はやくいえば「おもいこみ」、
これはもちろんあります。
この「おもいこみ」の話ですぐに出るのが、コースを知っているからとスコアまで
いいわけではない、というやつです。
もうすでに知っているから、打つ前から、全然狙う気持ちにならない、や、
知らなかったからできただけ、や、
はじめから知っていたらとてもじゃないけどあんなところを狙えない、
などです。
また、スコアなどもそうでしょう。
スコアの壁はいろいろありますが、特に多いのが100、それから80の壁があります。
先週の国内女子ツアーを優勝された高橋プロも自身へのプレッシャーを見えないおばけ、
と言われていました。
10度目の最終日最終組からの優勝ということでしたが、
悪天候気味も逆によかったのかもしれない、と勝手に思っていました。
余計なことを考えない、プレーに集中するだけ、と。
「ながれ」としか言いようがない、これらのこと。
「気のせい」なんだろうけど、「それでもなにか気に引っかかる」ということは
なにかあるから、だとは思いますが、
うまくいくときはうまくいくし、うまくいかないときはうまくいきません。
ゴルフをしていると、一打の重さに直面します。
101と99、81と79、100ぎりや70台が出る出ない、などなどのこれらについて
なかなか熱い攻防もあるかと思います。
ゴルフのゲーム、スコアに関しては、出るときは出るし、切れるときは切れます。
プロの場合、結果が仕事、でもあるのでまた大変さの種類はちがうとは思われますが、
余暇のゴルフの場合、後から考えれば、目先よりも、いい内容を重ねていく方が大事
だなと、思われることがほとんど、かとは思います。
が、
たとえばこれが、同伴競技者への話、対・ひとの話でも同じかもしれません。
相手がいることですから、いろいろあるかとは思いますが、
いわば、自分から見て相手に「あとあじ」が悪くないのであれば、いいのかな、
とは思います。
この「あとあじ」に関して、どちらがどうなのかは、当人同士がよくおわかりでしょう。
ですので、いつも同じ話になりますが、「コースではマナー」になります。
人の口に戸はたてられない、です。
今回の東欧での戦争まがいのことでもそうですが、イケズをした方というのが、
あとあと、長い目でみたとき、とても不利な話となります。
兵力で大きく劣る、ウクライナがロシアに勝つことは無理なんでしょうが、
じゃあロシアがウクライナに勝つこともできるのかと言われれば、
それも相当無理のある話です。
ですから、そこまでの経緯はともかく、とっている手段の質の悪さ、
あまりのおそまつさに、ロシアへの非難が集中しているのだと思います。
イケズな人たちというのは、最終的にはにつまりにつまって、自滅する運命
みたいな、そんなものかもしれません。
佐々木投手の今回の件も、同じこと。あとからあれはなんだったのか、
どうだったのかと、なったとき、時間とともにわかってくることも
あるのではないでしょうか。
ゴルフをしていたら、なにかといろいろある「気のせい」。
ゲームの中でのあきらかな「これ、気のせい?」があっても、内容に集中、
息をととのえ、スィングに集中、でいいと思います。
決して軽くはありませんが、スコアはただの数字でしかありません。
同伴競技者との何かがなんとなくあったときは、それこそ「気のせい」にして、
自分の心に従ってやり過ごす、でほぼ大丈夫です。
わざわざなにか自分のエネルギーをつかわなくとも、気まずい方が勝手に自滅していく、
と思われます。
このように簡単ではありますが、ゴルフにもいろいろある、「気のせい」。
とはいえ、やはりゴルフはゲームなので、「第六感」はとても大事です。
「第六感」の育て方、なるものがあればなあ、と思わずにはいられません。
これについてはまた別の機会に触れたいと思います。
そろそろ長くなってきたので、今回はここまでとなります。
今回も最後までよんでくださりありがとうございました。